堕落した生活とマイナスマインド

こんな時代にブログ始めました。

O to X

悲観的になる。

未来とか考えるとどうしても億劫だし、Twitter見てると人生が本当に嫌になる。救いようのない物事ばっかりだ。全てが0か100。善か悪。まるで人間は何かしらのふたつの属性に分かれていないといけないかのような口ぶりだ。実際は全くそんなことがなくて、物事はグラデーションしているし、矛盾を抱えながら生きている。

私は私の枠をガチガチに作って塗り固めて、そういう人間でなければいけないと、そう思い込まないと簡単に嫌になってしまう。ときどき死ぬ瞬間のことを考える。展望台のガラスの床を踏んでみる、みたいな、嫌いだけどジェットコースターに乗ってみる、みたいな、そういうドキドキする挑戦と同じような感覚なんだろうな、と思う。生きる世界から死んだ世界に移行するのは、多分、そういう些細な感覚の延長線上にあるのだろう。そう思うと本当に苦しくなる。今生きていること、目の前にあることの全てが死の延長線上にある。だから私はヒーローでなきゃいけない。かっこいいヒーローでなきゃ、まともに立っていられない。私の世界の中で私はヒーローになる。

Twitterアルゴリズムが憎い。私を負の世界へ連れて行くな。私のヒーローを弱虫にするな。

頑張れ。おい、めちゃくちゃに生きろ。

音楽を嫌いになりたい女の子

何回も何回も通知欄を開いて、いったいそんなに誰からの連絡を待ってる?うんざりする。私はこの感情を知っている。あれは確か片思い。就活って本当に厄介だよな、とつくづく思う。

「やりたいことがあるのってすごい」と言われる。MOROHAの革命じゃん。あれやばくね!胸痛くね?ネットのミームになってるけど、全然笑えない。私を指差して、みんなが笑っているような気がするから。高校生の頃に好きだった東出昌大が、しゃべくり007でMOROHAのことを紹介しているのを見てから、「半径0mの世界を変える」が私の心の指標になった。目の前にある選択肢のどれを選ぶかが、私の小さな世界を変えていく。就活なんてものは、本当に悔しいけど、その最たるものだ。

隣の芝生は青く見えるものだし、私は私のやりたいことをやって死ぬけど、真面目にこつこつ就活している人たちの方がよっぽどすごいと、私は思う。こんな気持ちになるなら、やりたいことなんてない方がよかった。まるで恋愛。クソみたいな。

それでも憧れてしまう。どうしても生きてる、からせめて自分をかっこいいと思えるような生き方がしたい。私はそうする。

最近のわたしあるある(更新予定)

 

  • 1個嫌なことがあると、他の良いことを全部相殺してしまう。

 

  • 社会通念的なレールの上を走ろうとしてしまう。

 

  • Twitterで結婚がうまくいっていない人の愚痴アカウントを見るのをやめられない。

 

  • 考えが傾きまくってる人の意見を見て、「あまりにも傾いてしまっているな」と思いつつ、その「傾きまくってる考え方」に支配されてしまう(嫌な気持ちになってしまう)。

 

  • インターネット強者だと思っていたが、実際はそうでもない。

 

  • 自己矛盾を抱えまくっている。

 

  • 絶対に行かないのに、Instagramで「#京都グルメ」と検索するのをやめられない。

 

  • 「行きたいところ全部行こう」と言ってくれる友達の優しさに救われる。

 

  • 就活本を買って、そんな自分が嫌になってしまう。

 

  • 就職のことを考えると、朝井リョウの「何者」だとか「何様」だとかがよぎって、一生懸命に就活することを躊躇してしまう。

 

  • 自分の太ももが太いことがとーっても気になる。誰も見てないのに。

 

  • マルチタスクが得意だと自負しているのに、ひとつのことに集中すると周りの音が聞こえなくなるという性質も持ち合わせている。(自己矛盾あるある)

 

  • 推し活アカウントで推しに対して文脈的なことを呟いてる人に憧れて、ちょっと狙ったことを呟いてしまう。

 

  • 実際はそうじゃなかったとしても、一度そうだと思った考えに囚われてしまう。

 

  • 負の感情を神聖視しすぎている。不幸せなときこそ自分が輝くと思いがち。

 

  • ロックンロールは別に何も救ってはくれない。

私の個性が許せない、故に殺したい。

 私の個性が許せない。

 

 人生の中から他人を排除したい、他人の言葉を受け入れたくない、社会が許せない、世界が許せない、母親も父親も祖母も兄も許せない、あのとき、あの人の、あの言葉が許せない。許せないことをどこにも放出できなくて、あるいは放出しなくて、内部にたまりにたまった「怒り」みたいなもの、それそのものをもう受け入れることができない。許すことができない。何よりも、そうやってあらゆるものを許すことができない自分のキャパシティーの狭さが許せない。結局、何もかもの原因が自分にあると思ってしまう。「自分が悪い」という自意識の過剰さが気持ち悪い。気持ち悪い。

 

 一方で、自分の人生のすべては、他人のためにあったような気がする。私の根底にはいつも「母親に嫌われたくない」があるんじゃないか。他人にしがみついて、振り落とされないように、「誰にも嫌われない自分」のロールプレイをする。その結果、自分が一番自分のことを嫌いで、許せなくなってしまう。

 

 はじめから他人を自分の世界の中から排除することで、誰も内側に入ってこないよう制限することで、自分が傷つかないように守っている。

 

 これまで私を構成してきた「私とはこういう人である」とかいう「縛り」が「個性」が、まとわりついて煩わしくて嫌い。知らない。「こうだったよね」「こういう人だったよね」の期待が嫌い。その通りに行動して、嫌われないように生きるような自分が嫌い。

 

 故に殺したい。

ブラックホールに吸い込まれて

みんなはどうか分かんないけど、私は死ぬことについてよく考える。

すごく小さい頃に一緒に暮らしていた祖父が突然亡くなって、幼稚園から小学校低学年くらいはずっと死ぬこととか、誰かがいなくなることに怯えていた。

毎日夜になると、空に向かって誰もいなくならないように祈っていた。

このとき突然変異的に悪いことが次々と起こって、しっちゃかめっちゃかになったから、たぶんいまだにその負の感情を後遺症みたいに患って生きているのだと思う。

だからこんなに赤ちゃんみたいな気持ちで「死ぬってなんだろう?」って考えちゃうんだ。きっとそうだ。

 

身近な人が死ぬって考えると、当たり前だけど悲しい。

どうして死んじゃうんだろう。一生生きててくれればいいのに。

 

私が死ぬって考えると、すごく不思議な気持ちになる。

死ぬときの感覚を妄想するけど、死んだことがないからよくわからない。

心の底から恐怖が沸いてきて、「死にたくない」と思う。

でもなんとなく、これは希望的観測かもしれないけど、私はたぶん長く苦しむような死に方はしない気がする。病気とか。

なんとなく突然死ぬんだろうな、と思う。

 

理想の死に方もある。

いちばん良いのはヒーローになって死ぬこと。

私はジャンプ系の漫画を読むと必ず主人公を好きになるから、やっぱりヒーローにはすごく憧れる。

誰かを助けるとか、隕石の落下を食い止めるとか、地球が滅亡を阻止するとか、そういう感じで人の役に立って死にたい。

人の役に立つついでに話すと、臓器提供ってすごく良いシステムだと思う。

死んだあとに人の役に立てるとかすごい。

こんなこと言ってるとお人好しみたいだけど、それは違う。

「ヒーローになりたい」は自己満足のためだし、そもそも死ぬときと死んだあとに人の役に立ちたいのは、「生きている間に人の役に立つことをする気がまるでないから」っていう理由だし。

だからもし私が突然ヒーローになって死んでも、あまり褒めないでほしい。

それは私の喜ぶことではないと思う。

 

お葬式はみんな泣いてくれるかな。

私は家族に自分の話をほとんどしないし、たぶん私には友達があんまりいないと思ってるから、お葬式に友達がたくさん参列したら驚くと思う。

 

友達は、仲良くなればなるほど、私の死に驚かなさそう。

「まああいつはそういう奴だよな」とか「あいつらしいな」と思われるような私でいたい。

そういう私像に誠実でいたい。

だけど隠れてこっそり私のことを悼んでほしい。

そうであったら有難いなと思う。

 

こうやって死ぬことについて、あくまで冷静であるかのように書くことで、私の死に対するやるせない気持ちを鎮めている。

 

誰も死ぬなよ。

私と一緒に生きよう。

 

100年後に残すために、このブログを書く。

3歳児になった気分でイヤイヤ言ってみても、中身がどうしようもない貧困大学生で死ねばいいのにな。

働くことをやめたら死んでしまうという事実が存在することが嫌。大学生はモラトリアムだ、と聞いていたのに。暇な日にのんびり本を読む時間もない。睡眠時間を削って読む小説の味は苦い。

実家から届く「体に気をつけて」というメッセージ付きの1万円が嫌。そんなの要らないよって言えない自分も嫌。嫌嫌。どうしようもない毎日の、わたしが生きるだけのために消費されるお金より、おばあちゃんのところにいた方がよっぽど価値あるよ。言えないけど。

落書き

安易に文章を書けなくなった。

誰が読むかを気にするようになった。

誰が読むかを気にすると、途端に言葉が出てこなくなった。

結局自分は第三者に自分の価値判断を委ねて生きていると思うと、情けなくて死にたくなった。

人に誇れるような成績も成果もない。

強く信頼できるような思想もない。

強い思想を持っている人から自然と離れていくようになった。

自分は影響を与えるような人になれないから、影響を与えてくる人は心底怖いと思うようになった。

週刊少年ジャンプの主人公に憧れる。

好きなバンドマンに憧れる。

お笑い芸人に憧れる。

自分もあんな風に、と思う。

強い芯がある大人に、と思う。

思ったことは大抵できないし、願ったことは大抵叶わない。

肩書きばかり大人になっていく。

子供ではいられないと思いつつ、大人にはなれない。

未来、頼むから、