みんなはどうか分かんないけど、私は死ぬことについてよく考える。
すごく小さい頃に一緒に暮らしていた祖父が突然亡くなって、幼稚園から小学校低学年くらいはずっと死ぬこととか、誰かがいなくなることに怯えていた。
毎日夜になると、空に向かって誰もいなくならないように祈っていた。
このとき突然変異的に悪いことが次々と起こって、しっちゃかめっちゃかになったから、たぶんいまだにその負の感情を後遺症みたいに患って生きているのだと思う。
だからこんなに赤ちゃんみたいな気持ちで「死ぬってなんだろう?」って考えちゃうんだ。きっとそうだ。
身近な人が死ぬって考えると、当たり前だけど悲しい。
どうして死んじゃうんだろう。一生生きててくれればいいのに。
私が死ぬって考えると、すごく不思議な気持ちになる。
死ぬときの感覚を妄想するけど、死んだことがないからよくわからない。
心の底から恐怖が沸いてきて、「死にたくない」と思う。
でもなんとなく、これは希望的観測かもしれないけど、私はたぶん長く苦しむような死に方はしない気がする。病気とか。
なんとなく突然死ぬんだろうな、と思う。
理想の死に方もある。
いちばん良いのはヒーローになって死ぬこと。
私はジャンプ系の漫画を読むと必ず主人公を好きになるから、やっぱりヒーローにはすごく憧れる。
誰かを助けるとか、隕石の落下を食い止めるとか、地球が滅亡を阻止するとか、そういう感じで人の役に立って死にたい。
人の役に立つついでに話すと、臓器提供ってすごく良いシステムだと思う。
死んだあとに人の役に立てるとかすごい。
こんなこと言ってるとお人好しみたいだけど、それは違う。
「ヒーローになりたい」は自己満足のためだし、そもそも死ぬときと死んだあとに人の役に立ちたいのは、「生きている間に人の役に立つことをする気がまるでないから」っていう理由だし。
だからもし私が突然ヒーローになって死んでも、あまり褒めないでほしい。
それは私の喜ぶことではないと思う。
お葬式はみんな泣いてくれるかな。
私は家族に自分の話をほとんどしないし、たぶん私には友達があんまりいないと思ってるから、お葬式に友達がたくさん参列したら驚くと思う。
友達は、仲良くなればなるほど、私の死に驚かなさそう。
「まああいつはそういう奴だよな」とか「あいつらしいな」と思われるような私でいたい。
そういう私像に誠実でいたい。
だけど隠れてこっそり私のことを悼んでほしい。
そうであったら有難いなと思う。
こうやって死ぬことについて、あくまで冷静であるかのように書くことで、私の死に対するやるせない気持ちを鎮めている。
誰も死ぬなよ。
私と一緒に生きよう。
100年後に残すために、このブログを書く。