堕落した生活とマイナスマインド

こんな時代にブログ始めました。

終末世界

「この世界が明日終わるとしたら何をする?」よくある、LINEのタイムラインとかでよく見た、あの質問。何の意義がある質問なのか果たして謎だが、嫌いではない。もしかしたら明日世界が終わるかもしれないと思いながら生きることは、素敵だ。と思う。終わりを感じながら生きるってなんだか情緒的で美しい。

もしかしたら今私は「この世界が明日終わるとしたら何をする?」の答え合わせを見ているのかもしれない。世界がなんらかの危機に陥ると、人々はスーパーに走る。ウイルスが流行ると、マスクが無くなる。マスクの次に、世界からティッシュ類が無くなると騒ぎ出す。そしてまたスーパーに走る。「この世界が明日終わるとしたら何をする?」その正解はどうやら「スーパーに走る」らしい。

難しい問題だ。単純に解決できそうなことほど規模が大きくなると難しい。複雑じゃない。出会ったことのない恐怖を煽られている。中国で未知のウイルスが流行る、日本でも感染者が続出、自分の住んでいる近くにも感染者がいるかもしれない、ここでマスクが品薄!もうこれで人間は大慌てになる。全ては恐怖による錯乱。やはり「スーパーに走る」しかないのだ。「この世界が明日終わるとしたら」、「スーパーに走る」。

だけどなんだかホッとする自分もいる。完璧じゃない自分を責める人は誰もいない、と思える。だって世の中にはこんなにも完璧じゃない人間が溢れている。その中で自分だけが責められることなど、あっていいはずがない。私は堕落した生活を送っているが、堕落しているのは私だけじゃない。仲間、とは呼びたくないが、同類は大勢いる。人は成長しないのだ。人類が今後数百年に渡って生存し続ける未来など、これ以上先は言わないでおこう。

私はこれを世界の、人間の、運命だと呼びたい。

特に深い意味は無い。